筑駒(教駒)で私が受けた授業はこんなだった:『英語―2』

 前に書いた「英単語をねちねちと説明する先生」と違って、もう一人の先生は年配で、まともな授業をされる先生だった。

 授業は大変オーソドックスで、構文や成句をきちんと丁寧に解説された。話のテンポが遅めだったのは、意図してそうしていたのかもしれない。というのも、新しく教わる構文や成句は自分自身の頭の中に既にある雑多な知識と絡み合わせて「網(ネットワーク)」をだんだん大きく、頑丈で効率的なものにする必要があるからだ。先生の遅めのテンポは、聞いている我々に「網を組み上げる」余裕を与えてくれていたように思う。

 

 40才過ぎに、勤務先の不動産会社の専務の指示でイギリスの「エコノミスト」という政治経済誌を担当させられた。時々、10行くらいにまたがる部分がある記事がある。長文である上に内容的にも非常に高度で難しく、当初は歯が立たないと観念しかけた。なんとか読み解く事ができるようになったのも結局、教駒で教わった英語のおかげだった。

私の場合は「文法」をしっかり押さえていた事で、「エコノミスト」への入り口の扉を開くことができた。どんなに複雑で長い文章でも「S」と「V」と「O」を探し出して、残りはこれらにかかる「修飾」か、「注釈的な挿入」だとして読めば良かったのだ。

 

三か月もするとこのような意識をすることなく、頭から読み進めれるようになった。

 

 その後も英語にどっぷり浸り続けたが、いろいろな(ビジネス)英語のなかで最もハイブローなのは、この時に読んだ「エコノミスト」だった。