筑駒(教駒)で私が受けた授業はこんなだった:『現代国語』

 現代国語の先生は、お二人ともまともな授業をされる先生だった。

 しかし私は二年生の後半くらいから、大きな問題に直面してしまった。

 

 一年生の時の現代国語の先生はある時、お昼の出前の注文取りの方に「また味噌ラーメンですか」と言われているのが聞こえた事から「味噌ラーメン」というあだ名だった。

 志賀直哉の「城之崎にて」の感想文で、私は「主人公が電車にはねられた時、自殺の企図が頭をよぎっていたのではないか」と書いたら、味噌ラーメンに鋭い洞察だと褒められた。

二年生の時は別の先生で、私は中島敦の山月記の解釈が良いと言われた。

 

問題だったのは「ペーパーテスト」だった。

ペーパーテストの現代国語の成績が極端に悪く、特に記述式でこれがひどかった。詩の感想文で字数が50字以内という出題に対して47字でまとめた答案がゼロ点とされた事があった。後に京都大学の教授になった親友がこれを見て驚き「記述式でこの字数で書いたのにゼロ点という事がありうるのか」と呻いた。次回も似た様な点数だったので、彼は今度は呆れて苦笑いしながら私を見た。

 東京大学の二次試験の国語には古文と漢文も含まれ、全体から見ると現代国語の比重はそれほど大きくない。さらに「現代国語」なんてどう勉強すれば良いのか見当もつかない。私は入試ではゼロ点でいいやと考えた。いわゆる「捨てた」のだった。

 

 その後、今の私には著書4冊がある。某社のメルマガには今も月一回、累計約90回も寄稿、某不動産専門紙には67回寄稿している。両方とも数千部の発行規模だ。さらに年17回、海外の直近の不動産ビジネスについて毎回20ページ強のレポートを会員各社向けに発行している。

 

私は「作家」を名乗るほどないが、もう「文筆業」の域なのだ。

 

なんで現代国語のペーパーテストがあんなに苦手だったのか、いまだに分からない。