英語の先生のうちの一人は非常勤講師、まだ30代の若い先生だった。先生の授業を受けたのは二年生の時だ。一時間の授業で一つか二つの単語だけを材料にその用例等をまさに「ネチネチ」と説明された。ご本人はすごく楽しそうに説明をされていた。
私はやがてこの「ネチネチさ」さに飽き、先生が時々見せる仕草の方に興味を持った。「アイロン・バー(鉄の棒)」では胸の前で両手をくるくると回した後に両手を両側に広げた。たぶんベルトコンベアー上の鉄鉱石がゴトゴトと揺れながら溶鉱炉に落ちて鉄の棒が出てくるというイメージなのだと思う。
この時期、我々の間では「ハシラ」と呼ばれる少々危険な遊びが流行っていた。両足をふたりずつが抱きかかえ足を広げされて「ハシラ」に突っ込み、さらに背後から押す役の人間がいる。「ハシラ」として使われる物は中庭の木でもストーブの煙突でも、細長く立っているものならなんでもよかった。処刑隊のベストポジションは背中から押す人間だったのだが、このポジションによくついていた同級生はある日、彼自身が「ハシラ」にされた。彼は後に某外資系企業の日本法人のトップとなった。同学年160数人のうちたぶん30人くらいが処刑された。「ハシラ」はいつもお祭りのような感じでワイワイ盛り上がりながら行われていた。これはどこかの国の未開な時代から伝わる土着的なフェスティバルでの騒ぎに似ていた。
先生がネチネチと単語の話を進めるうちに、我々の間ではこれは「授業」というより先生の「趣味の話」に付き合わされているのではないかとの思いが広がっていた。
年度末、先生の最後の授業が終わった瞬間に7~8人が立ち上がって先生にワッと近寄り、そのまま抱き上げて廊下側の窓の縦の枠で「ハシラ」にしてしまった。先生は抱き上げられた時に自分は「胴上げ」されるのだと思ったそうで体勢に油断があり「ハシラ」は非常にきれいに決まった。
次のクラスでは、走り寄る7~8人に、先生はこれは胴上げではないのかも知れないとは思ったのだが逃げ遅れ、再度「ハシラ」となった。
その次のクラスでは授業が終わる10分前によそのクラスの人間が廊下に現れ窓から覗いていた。彼は「ハシラ」における処刑隊のベストポジションを取る為に、早めに現れたのだった。先生は彼が「ハシラ」の先遣隊であると察して怯え始めた。授業を終えると同時に廊下と反対側のバルコニーから逃げようとしたのだが既にバルコニー側でも待ち構えている人間がいて、またあえなく「ハシラ」となった。
高校時代に受けた英語教育に不満を述べるとしたら、長文読解の量が圧倒的に少なかったように思う。例えば私は長らく「仮定法」がよく分からないままだったのだが、これは大量の英文を読んでいるうちに、分かるようになった。「仮定法」は文法でロジカルに考えるものではなく、「気合」で読むものだと思う。それには沢山の長文を読むに限る。
不動産業界にはビジネス英語の初心者が長文になじむのに最適な文書がある、「ブローシャー」と呼ばれる物で、「この不動産を買いませんか」と説明をする文書だ。読んでもらわない事には話にならないので、感心するほど上手に書かれている場合が多い。