筑駒(教駒)で私が受けた授業はこんなだった:『日本史』

日本史は学者志向が強い先生だった。

授業の初日、先生は概ね次のような事をおっしゃった。

 

「先年、建国記念日が制定され賛否が分かれて議論になったが、『211日』というのは学問的には何の根拠もない事を理解してもらいたく一年の前半では『魏志倭人伝』。後半では私が専門とする『明治の条約改正史』を教えたい。」

 

 という事で「魏志倭人伝」とその周辺の話が、半年続いた。私は16才なりにこの話はどんな事があっても私の人生に関係することはないと考え、3回目くらい以降はまったく上の空だった。

 

 10月からは「明治の条約改正史」の授業となった。驚くほど沢山の人物が登場、みながさまざまな形で条約改正に関与していた。これもやはり3回目以降は上の空となった。

先生に何かの都合があり、この授業では結局、「条約改正」にまで到達せずに終った。

 

20年後、私は勤務先の不動産会社で「定期借地権制度」を担当した。この新しい制度について社内には外部あてに説明する人間がおらず、インハウスの研究所にいた私がその役になった。

社外での定期借地権の説明では話の起点を明治29年の民法制定とした。しかし当然の事ながらそれ以前の経緯や諸事情・背景にも触れた方が良い事がある。私は上の空で聞いていた「明治の条約改正史」の話を説明の際のスパイスとして使った。

 

最も思い出深いのはイトーヨーカ堂の伊藤雅俊会長へご説明にあがった時の事だ。伊藤会長の前にクリーム色の弁当箱のような箱があって、絵が描かれた4つのボタンが上についていた。一つは明らかに「温泉マーク」の絵なのだが、他の3つは何の絵だか分からない。伊藤会長は私の説明を聞きながらボタンを時々押していらしたのだが、何をされているのか分からなかった。

説明が進んですっかりリラックスしたムードになった頃に、私はやっとこのボタン付き弁当箱の機能が分かった。伊藤会長が「お茶」「まんじゅう」「ようかん」等の中から、秘書に「お茶」を持ってくるようにとする時は「温泉マーク」のボタンを押し、ほかは「まんじゅう」なり「ようかん」なりのボタンだったのだ。確かにこの方法だと思考が中断しないで済む。 

さすが伊藤会長、この時の「お茶」と「ようかん」は世の中にこんなにおいしい物があるのかと感心するおいしさだった。