カトマンズにバンコックから入るにはネパール航空(当時はロイヤル・ネパール航空という名前だった)とタイ航空のどちらかだったのだが、何も考えずにネパール航空を選んだ。しかし乗機する直前に外から見た機体はいかにも「使い古された」という中古感が漂い、乗り込むと飛行機特有のにおいに加えてほこりのにおいがした。私の席は椅子が壊れていて座れず、空いていた隣の席に座った。離陸体制に入ってエンジンをふかすと、機体の振動で棚からほこりが落ちてきた。きらきらと輝きながらスジになって落ちてくるのだった。
3時間強のフライト中も音や振動が普段の飛行機とは違った。たぶん他の乗客も不安になっていたのだと思う、ドスンという感じではあったがカトマンズ空港に無事に着陸した時には拍手が起きた。義理の拍手ではなく本気の拍手だった。当時、ネパール航空が保有するジェット機は3機だけで、多少の整備不良でも飛ばさざるをえないはずであった事は後日知った。3機しかないのにネパールの国王が外出する時は2機を使うので、残りは1機だけ、従って欠航だらけになる。定時に飛んでくれただけでも、私は運が良かったわけだ。ネパール航空の主力は国内各地を結ぶプロペラ機であり、中にはセスナ機と変わらないような、乗客の定員はたぶん3人ではないかと思われる小さな飛行機による定期路線もあった。
カトマンズ空港発着で「エベレスト遊覧飛行」というのがあった。出張日程の中に空いた日があったのでこれを楽しんだ。空港のターミナルはビルというよりも平屋の大型倉庫という感じだったのだが、これはその後、さすがに建て替えられている。
「エベレスト遊覧飛行」のチケットの買い方が分からず困った。チケットを売ってくれそうな所がないのだ。そのうち「マウンテン、マウンテン、マウンテン」という大声が聞こえ、これかと思ったらそうだった。どうも、ポカラ行きだったら「ポカラ、ポカラ」、ルクラ行だったら「ルクラ、ルクラ」と叫ぶチケット売りが登場する仕組みの様だった。
「エベレスト遊覧飛行」の機体は片側2列で乗客は40人くらいの双発のプロペラ機だった。往復ほぼ1時間で、行きは飛行機の左のすぐ下にヒマラヤ山脈が連なる。その奥にチベットの高原がはるか遠くまでゆるやかにうねり、やがてもやがかかった地平となり青い空のもやと互いに溶けあっていた。副操縦士が乗客を二人ずつ操縦席まで案内してくれた。年に何回もないという恵まれた天気の日だったそうだ。いよいよエベレストが近づいてきたが、どれか分かるかなと目を凝らしていたら、一目でエベレストだと分かる山が見えた。大きな三角形が広がり、頂上から雪煙りがたなびく、日本でもよく見るおなじみのアングルだったのだ。
往復1時間のフライトだったが、私にとってこれがいまだに生涯のベストフライトだ。
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