「筑駒(教駒)」では学校の正しい校名を教わっていなかった

 私は「筑駒(つくこま)」となる前の「教駒(きょうこま)」と呼ばれていた時代の同校の卒業生なのだが、仲間に後に筑駒の先生になった男がいる。おととし6人で飲んだ時に、「みんなは教駒の正しい校名は知っているか?」と彼が言い出し、順繰りに言ってみると彼を除いた5人、全員が間違えていた。

 

 正しくは「東京教育大学附属駒場高等学校」という名前だったそうで、ポイントは「教育大学」というのは全国各地にあったので「東京」が頭につくこと、「フゾク」は「附属」であり「付属」ではないのだそうだ。

 

 こういうのって一つのけじめとして、学校できちんと教えてもらいたかったです。

 

 ふだんは「教駒」「教大付駒場」で良いわけだが、大学の願書なんかでは「東京教育大学附属駒場高等学校」とオフィシャルな学校名を書けなくてはいけなかったと反省する次第だ。

 

 ビジネスで自分の会社の名前を正しく言えなかったら、取引はアウトだ。

 

(追記2022.2.19)悠仁様のご入学で筑駒の兄貴分の「筑波大学附属高等学校」がよく話題になるが、多くのメディアで「附属」ではなく「付属」、あるいは「筑付」としている。これは誤りだ。

 ちなみに我々の時代は我々を「駒場」、これとの比較で同校を「大塚」「本校」と呼んでいた。

 フルネームはたぶん「東京教育大学附属高等学校」だったのだろうが、「教駒」に対応する略称は聞いた事がない。「教附」ではごろが悪い。今度、知り合いに聞いてみよう。

 

(追記2022.2.19)

 本文中の元筑駒の先生によると

・「附属」には「内部にあってくっついているもの」

・「付属」には「外にくっついているもの」という意味があり、国立大のフゾクは全て「附属」なのだが、私立大のフゾクはあとから付いて来ることがあり「付属」なのだろうとの事だ。

 ということは「筑駒(教駒)」って独立した人格を持たない「東京教育大学の附属物なり内部組織」だったのだろうか。ショックだ。

 会社の場合は「定款」で商号(社名)を定めてこれを登記するので、こんなことでは悩まない。

 株式会社は商号に必ず「株式会社」と入れるのだが、「株式会社」を略して表記する事も多い。

 鹿島の場合は正式な社名「鹿島建設株式会社」だが大幅に略して「鹿島」と表記している。

 ジャスコの場合はややこしくこれは現イオン株式会社の旧商号なのだが現在は店舗ブランドのようだ。ならば「屋号」の一種だろう。

 当方も昔、「ジャパン・トランスナショナル」は屋号で、ジャスコと同様だと説明していた。

 

(追記2022.6.28)

 我々の時代、教駒(現・筑駒)の校長先生は、教育大学の農学部の教授が持ち回りで兼務をされていた。当時、教育大学の農学部は教駒から徒歩数分と、ごく近くにあった

 実際はどうだったのか分からないが、我々が在学中の校長先生は生徒から見るとまるで当事者意識が見られない存在だった。お姿を見るのは年度初めの始業式の時だけで、話も「訓辞」というよりは「実は私がみなさんの校長先生なんです」という挨拶・顔見世に近かった。

 当時は学生運動の残り火がまだ高校にもあった時代で、我々生徒は先生方とだいぶいろいろやりあっていたのだが、この手のいざこざに校長先生の影が見えたことはなく、従って我々のやり玉の対象になる事もなかった。

 教駒の校門の前は淡島通りで信号機付きの横断歩道があった。ある時、下校時に級友三人と信号を待っていたら反対側におじいさんが立っている。どこかで見覚えのあるおじいさんだなあとは思ったのだが、それ以上は考えなかった。

 歩道をわたってしばらくしたら三人の一人が「あれは、校長先生だった!」と叫んだ。三人とも同じようにどこかで見覚えのあるおじいさんだなと思いながらも、まさか校長先生だとは気づかなかったわけだ。

 ちなみに有名な「駒場の田んぼ」周辺が「都立駒場野公園」として整備され「碑」が建てられるとき、その時の教駒の校長先生の名も碑の銘文に織り込んで刻んでもらおうと教駒の先生方が動いたら、校長先生は激しく遠慮、ご辞退されたと聞く。

 教育大学の農学部は我々が教駒を卒業した後にどこかに移転してしまった(たぶんつくば市?)のだけれど、筑駒の校長先生って今でも筑波大学農学部の教授が遠方から持ち回りでされているのだろうか。

 今度、くだんの元筑駒の先生になった友人に聞いてみよう。

 ところで一般に、校長先生って偉いはずですよね。