「(自称?)東大生」のクイズ番組を1つだけ見た。
東大生の仲間うちでの相互評価は結構厳しい。低く見られた人間は仲間内では一生、「あいつは大した事はなかった」という評価がつきまといかねない。エスタブリッシュメントも多い同期の間で、一生、軽いやつとみなされ続けてしまうのだ。
例えば「司法試験」だが、今とは異なり昔は難関中の難関だった。私の高校(筑駒)の同期は当時の史上最年少記録で合格して新聞に載り、今は最高裁判事だ。
数学ですごいと認められていた友人は、日本数学会の会長になった。生命関係に進んだ友人は(たぶん)史上最年少で京都大学の教授に大抜擢された。建設省に進んだ友人は安倍総理・菅総理を支える首相補佐官だ。
民間企業のトップになると「なんでおまえ程度の人間こんなに偉くなれたのだ」と怪しまれ「言い訳」を求められる。昔を知っているので「運がいいだけだった」という説明以外は誰も納得しない訳で、「ここまで運がいいというのもすごい」という評価になる。
テレビに出ている東大生、「本物の東大生」なんでしょうね?
私たちには2年生になった直後に1年生の時の試験成績が点数で通知された。これは「進学振り分け」という進学する学科を成績順で希望を認める制度で使われ、略して「進振り」と呼ばれた。その後の人生を決める非常に重大な成績通知の点数だった。
70点でまあまあ、75点であいつはできる、80点でかなりなものだ、くらいだったと記憶する。70点を割ると自分の点数は言わない。65点を割るとひた隠す。
自分の点数を膨らまして高く言う人間がクラスに2人いたのだが、授業での様子を見ていればそんな成績を取れるはずはなく、あいつは見栄はりだとかげで言われていた。
65点以下の人間なんてざらでそれでも東大生、「東大生の底辺」はもっと下だ。もちろん、その後、世の中で十分に貢献している方の方がはるかに多いと思う。
まあそういう訳で、テレビ局にはせめて「本当に東大生なのか」くらいは確認してほしい。「(エセ)東大生ブランド」を利用し安上がりな視聴率稼ぎを狙うテレビ局と、東大生ブランドを語るエセ東大生の利害が一致しているのではと疑っている訳だ。