前書き・1 日本の新聞は福島での爆発を4行でしか報じなかった

 東日本大震災直後、2011年3月14日(月)のウォールストリートジャーナルの第一面は、12日(土)に福島で原子力発電所が爆発したことと、爆発の瞬間を映したテレビの画面の大きな写真だった。

 

 何のことだか了解できなかった。3月11日(金)の東日本大震災の日の夜、私はほうほうのていで横浜の自宅へ帰宅、土日はテレビのニュースを見続けていた。それらの中には原子力発電所が爆発したという話はなかったのだ。

 

 ウォールストリート・ジャーナルの記事を読み始めたのだが、意味がよく取れない。今、思えば「水素爆発」とか「全電源喪失」とか「ベント」といった単語が障害になっていたのだと思う。

 

 ルーティン業務を終えてあらためて記事に取り組んだ。同紙は土日が休刊でこの記事は地震後の第一報であり、非常に長文だった。辞書をたよりに読んだのだがあまりにも重大であり、実感を超えていた。

 

 当然、日本の新聞等もチェックした。やはり原子力発電所が爆発したというような記事は見当たらない。しかし「報道が全くない」ことから少なくとも「原子爆弾が破裂したような状態」でないことだけは推測できた。周囲の同僚に話しても分かってもらえるはずがなく、黙っていた。

 

 このとき、福島第一原子力発電所がいかに危険な状態であったかが一般に広く知らされたのは、しばらく後だ。水素爆発の件は日本のメディアでは「徐々に」報道されるようになった。それまでの間、日本国民は世界の中でかやの外だったのである。

 

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