雑記
EIUという英エコノミスト誌系のシンクタンクは国別の「カントリー・レポート」という、その国でビジネスを行う場合の中級・基礎知識をまとめた冊子を定期的に出している。
20年ほど前にフィリピンのそれを読んだら、冒頭で取り上げられていたのが同国の「誘拐ビジネス」事情だった。
誘拐されるのは富裕な中国系家族か白人駐在員家族の幼児なのだが、警察には届けてはいけないという話から、カントリー・レポートは始まった。
警察に届けると「誘拐犯と警察の対決」という状況になり、解決までとんでもなく時間がかかる。大体一週間くらい待つとどこからともなく連絡が届き、身代金の要求額と払い方が告げられる。それに従って払うとショッピングセンターの名が告げられ、そこに坊やが迷子として現れるという段取りなのだそうだ。
その身代金の相場が当時のレートでたった「30万円」だった。つまり薄利多売を旨とした誘拐ビジネスなわけで、中華系の奥さんによっては子供がもう何回か誘拐されていることがあり、「またか」という感じで動じるところなく身代金の額の連絡を待つわけだ。
1986年に三井物産のマニラ支店長の若王子氏がゴルフ場への行きだか帰りだかに誘拐され、この時に要求された身代金は日本円で億円オーダーだったとされる。これは地元の誘拐ビジネス関係者では思いつきようがない天文的な額の身代金だった。
日本で言えば身代金の相場が1000万円だとして、そこで100億円くらいを要求するようなものなのだ。億円オーダーの身代金なんて誰かが入れ知恵したに違いないと、日本の赤軍派の関与が疑われた。
これだけの額の「ドル札」はフィリピン国内で集めることは無理で、三井物産のニューヨーク支店が揃えたと聞く。
当時のフィリピンの税関の職員は簡単に袖の下を受け取り、チェックをしないで通してくれる状態だったのだが、さすがに億円オーダーのドル札はこれでは危ないと思う。万が一と言うことがあるからだ。
たぶん想像するに三井物産は日本の外務省を通してフィリピンの外務省へ特段の扱いを依頼したのではないだろうか。こういう時に、こういう事ができるというのは、三井物産が歴史ある本物の国際的大企業だからだ。
さてこれで解放された若王子支店長が真っ先に向ったのは、日本航空が経営するマニラ・ガーデンホテルだった。三井物産もこのホテルの株主で、若王子氏はこのホテル内の床屋へ行ったのだ。
誘拐から解放まで約4か月、指先が切り落とされたかのように見える写真等が送りつけられ、日本中が若王子氏の事を心配していた。大手町の三井物産の本社わきにはカエルの置物が置かれ、「若王子カエル」としてみなが願をかけていた。
しかし当人はマニラの山あいで監禁されていたわけで、日本でそんな騒ぎになっているとは全く知らなかった。
だから彼は三井物産のマニラ支店の連中に「心配をかけてすまなかったな」と言いたく、その前に伸び放題になった髪の毛と髭を切ろうと、まず「床屋」にいったのだそうだ。
彼は集まった日本の報道陣の前に予想外の小ざっぱりとした風情で現れ、その写真が日本中にあふれた。そういう話だとは知らずに私はここでも「さすがに三井物産マンだなあ」と一層、同社への尊敬の念を強くしたのだった。
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