(以下に書くのは非常に些末なことです。)
ラグビーのワールドカップでは久々にスポーツ中継を見た。
ありがたかったのは画面の右下で小さくルール説明があったこと。これがなかったら見ていなかったと思う。
私がスポーツ中継をほとんど見なくなってから数十年が経つ。
きっかけの一つはミュンヘン・オリンピックで大会の最中にイスラエルの選手が殺され、にもかかわらずその後の日程が予定通りに消化されたことだ。「平和の祭典」というのはうそだった。
もう一つは読売巨人の王監督。年がら年中、眉間にしわを寄せていて見るのがいやになり、仕事も忙しくなったこともあってプロ野球中継も見なくなった。
その後は本当に断片的にしか見ていない。モントリオールのコマネチ、ロサンジェルスのカール・ルイス、ソウルの鈴木大地、シドニーの高橋尚子。あと日本で開催された時のサッカーがちょっと。
我ながら、スポーツ中継を楽しめないのは「損だ」と数年前に思った。
そしてリオデジャネイロ・オリンピックに心を入れ替えて臨もうとして、発見した。
いろいろなスポーツでルールが40年前とちょっとずつ変わっているのだ。
例えば女子の卓球では2対2となり、5セット目で片方が11ポイントを取り、「よーし、これからだ」と気を入れて座りなおしたのだが、その後、あっというまに勝負が決まってしまった。5セット目は21ポイントではなく15ポイントで決まる様だった。
女子のバレーボールのファイナルセットも点の入り方が違うようだった。「サーブ権」という考え方がなくなるのか、点がどんどん進む。何点で終わりなのか分からないうちに試合は終わった。昔はジュースからサーブ権を奪い合って2点差が付くまでやり続け、これがだいご味だったものだ。
高校野球の話だが、延長戦にもつれこみトイレから戻るとそのわずかな間にノーアウト、2塁・3塁になっている。これは大ごとだと思ってみていたら、その裏も初めからノーアウト、2塁・3塁なのだ。高校生には申し訳ないが、昔は延々と続く延長戦も楽しみだった。
リオデジャネイロ・オリンピックではこれなら単純で私でも楽しめるだろうと、「棒高跳び」を録画して見た。選手がもたもた準備なり精神統一をしている時間は(日頃の悪い癖で)早送りし、走り出すところからノーマル・スピードで見ていたわけだ。
「飛べた」と喜んだ瞬間、これは録画で世界中の人は12時間前に結果を知っていたことに気が付いた。スポーツ中継はライブで見なくてはいけないようだ。
そこで2020東京オリンピックだが、種目数が多すぎないか? 言っては悪いが、こんなものまでオリンピックでやるのかというのが何種目もある。大体、「世界陸上」とか「ワールドカップ」とかなんかを年がら年中やっているわけで、メジャーな種目だって大ナタを入れられる。
現状の規模では例えばアフリカ諸国は負担できないだろう。金持ちの国だけがオリンピックを開催できるなんて、大昔教わったオリンピックの理想からは考えられない話だ。
ということでつい「馬鹿らしい」と言いそうになるのだが、ラグビーのワールドカップを見て心を入れ替えようとしているわけだ。
今度こそ、オリンピックを楽しもう。いや、私にも楽しませてください。