ウォルト・ディズニーがカリフォルニアで初のディズニーランドを進めた時のスローガンの一つに、「ミッキーは一人」というのがあった。
これは長らくディズニーランドのマントラとして存在していた。
東京ディズニーランドができた時にもこの言葉は非常に強調された。しかしオープン当初から釈然としないものがあった。カリフォルニアとフロリダと東京とで、最低3匹はいたからだ。
しかしディズニーランドに通ううち、その「釈然としない気分」は消え、私は「ディズニーの魔法」にかかり、大のディズニーランドファンになってしまった。いろいろな事情があって、当時の私はやたらに東京ディズニーランドへ無料で入れた。
無料で入園したケースとお金を払って入園した若干のケースを合計するとこの3-4年の間に、20回はディズニーランドに行っている。その多くは家族で行った。ディズニーランドでの幼い我が子たちの喜びようは、親として無上のものだった。そして私は魔法にかかってしまったのだ。
クラブ33で身内のパーティを開いたときはオリエンタルランドから特段の配慮を受け、ミッキーとミニーが15分間だけ我々の部屋に来てくれた。当時(今は知らない)、オリエンタルランドはミッキーとミニーについてタイムテーブルを作り、いつ、どこに何分登場させるかを厳格に管理していた(オリエンタルランドの方はミッキーたちはテレポーテーションができると言っていた)。だからこの15分間、ミッキー達はパークのどこからも姿を消していたはずだ。
家族一同がディズニーファンになって何年かした時、カリフォルニアに続いて日本でもトゥーンタウンができることになった。そこにはミッキーとミニーが常時いて、来園者が一緒に写真が撮れる建物もある。行列に並んで入った家の中の二人は、写真撮影にも応じてくれた。
しかし、これはおかしいではないか。思い起こせばディズニーランドもオリエンタルランドも「ミッキーは一人」というスローガンを何年か前から言わないようになっていた。
釈然としない気分になった。会社での担当業務も変わり、やたらに降ってきたタダ券も来ないようになり、無料で行けるのはオリエンタルランドの株主優待だけになった。
もやもやは続いた。どう考えてもミッキーが東京ディズニーランドの中に2匹はいる。
それからしばらくして、ふと気が付いたら「ディズニーの魔法」がとけていた。
子供たちはともかく、ディズニーの何が、もういい年だった自分をもあんなにまでも幸せな気分にさせていたのか、不思議に思った。もう過去の思い出だった。
そして、以降、ディズニーランドに足が向くことはなかった。
進む少子化の中、遊園地ビジネスには成長性はないとも思い、オリエンタルランドの株も売ってしまった。(これは失敗だった。)
ディズニーの魔法がとけたのち、「プーさんのハニーハント」ができた。しかし私はこのアトラクションを見ていない。私はもう20数年間、ディズニーランドに足を踏み入れていないわけだ。