マスコミでは語られていない「バブル」

 いわゆる日本のバブルは「株式」と「不動産」で起きたとされるが、私は当時、不動産会社に勤務し、不動産子会社株式の新規上場を親会社として担当していたので、「バブルの二乗(三乗?)」の渦中にいたわけだ。

 

 当時のバブルについてよく言われるのは毎晩のどんちゃん騒ぎやタクシー券・一万円札をひらひら振ってタクシーを捕まえるとか、ディスコのジュリアナのお立ち台の話などだが、これらは当時の一面しかとらえていない。

 

   「仕事がとにかく忙しかった」という話が決定的に欠けているのだ。当時は何をやってももうかるので新しい仕事に際限なく手を広げることになり、業務時間中には終わりようがない。残業してこなすわけだが、早くて10時、遅いと午前1、2時となった。

 

 この合間を縫って、週の半分は銀座か六本木へ飲みにいった。しかし、帰ろうと思って店から電話してもらっても、12時くらいになるとタクシー会社は話し中で全然つながらない。ハイヤーは全て出払っている。裏技を出してもだめで、よくバブルの時代の語り草としていわれるように店を出て大通りでタクシーチケットを振ったこともあるが同じようなライバルが多く、おまけにこの方法ではそもそもどのタクシーも全然止まってくれない。これに懲りて、それからは店に長居して女の子と話を続け、「山」が過ぎるのを待ってからタクシーを呼んでもらって帰ることにしていた。したがって帰宅が2時過ぎになるのが常だった。

 

 というわけで平日は残業と飲み会で毎晩午前様、電車で帰る日の方が圧倒的に少なく、おまけに土日はゴルフだ。人によっては毎週末、接待ゴルフをセットされていた。ゴルフ場で財界人やビジネスマンが急死するという事故が何件も起きた。

 

 私はゴルフが下手で性に合わず楽しくないので、できだけお誘いを断っていた。だから一年に5ラウンドか6ラウンドというペースで済んだ。とにかく当時のゴルフはコースやスタート時間によっては朝3時ころに起き、一人か二人を拾って東京湾をぐるりと回って千葉の奥地とか茨木県、栃木県まで行くのだった。

 

 そうこうしているうちに昭和天皇のご容態が思わしくないという話が伝わってきた。昭和63年の秋にはそれがただならぬ状態だと分かる報道がされた。

 

 誰が言い出したのか知らないが、陛下がこのような状態の時に飲めや歌えやをしているべきではないという話が広まった。「天皇陛下のご容態が悪いので」という言い方は憚れるので、これを「天皇陛下のご無礼につき」と表現した。そのような了解のもとで「天皇陛下のご無礼につき」の部分は文書からは省略され、「歌舞音曲は控えるように」という趣旨の社内通達が日本の主要企業で出された。

 

 この通達は連日の深夜残業に接待・飲み会+ゴルフでいい加減に疲れていたビジネスマンの間で直ちに共有され、接待は各社ともお互いに遠慮しあう事とし、その他の飲み会も控えられた。深夜残業は続いたが、接待・飲み会とゴルフは休戦となったわけだ。

 

 年が明けて昭和64年(平成元年)1月、昭和天皇が崩御された。停止していた接待・飲み会をいつ復活するか、自分の社が突出した一番手となるのもまずいので各社はお見合い状態になった。ある超大手ゼネコンさんが「飲み始めた・・」という話が瞬く間に広まり、二番手が出たあたりであとはどどっと飲み会再開となった。

 

 3月末の交際接待費の締めまで時間はなく、残っていた多額の枠の消化は急がなければならなかった。仕事は早々に終えて(と言っても8時か9時過ぎだ)、飲んで、タクシーで帰った。

 

 この年(平成元年)はバブルが最後に大きく燃え盛った年でもある。飲み会の休戦でどのビジネスマンも十分に体力を回復、体調も万全となっていた。

 私はこの時に蓄えられたエネルギーが、バブルの最終段階をさらに一段と大きく炎上させることになったのではないかと思っている。役人や学者さんたちは、この辺を分かっていないのではないだろうか。

 

 なおこれは一介のサラリーマンであった私の場合だ。個人経営の不動産屋さんの場合などは、話のケタが違っている。