昨年はシアーズ、一昨年はトイザラスといずれもアメリカを代表する小売会社大手が倒産した。シアーズについて現段階までの話をまとめてみよう。
シアーズはミネアポリスを本拠地として始めた「売れ残った腕時計の(安売り)通販」が祖業で、1886年のこととされる。この成功から有名な「カタログ通販」に乗り出し、瞬く間にアメリカ国民の支持を勝ち取った。次いで進出したのが「百貨店」である。1900年代半ば以降、これを急拡大させてシアーズはアメリカ最大の小売会社となった。白物家電その他、いくつもの自社ブランドの開発でも大成功をする。
これらの過程でシアーズは「イノベーター(革新者)」と呼ばれるようになった。腕時計を一挙に国民の手に届くものにし、カタログ通販では地方部の住民に「大都市で今、流行の服」を提供した。人々は週末にはシアーズに自動車で買い物に出かけるようになったが、これは新しいライフスタイルだった。
次に進出したのは、保険をはじめとする金融業だった。しかしシアーズはここでつまずいてしまう。そして金融業にかまけているうちに、重大な環境変化が起きていた。
それはウォルマートやJCペニーといったライバルの小売会社の成長である。1989年には売上高でウォルマートに抜かれ、「全米最大の小売会社」という称号を奪われてしまう。
さらに深刻だったのは、はっと気がつけば「シアーズで売っているものはどの商品も同じ物を他の店がより安い値段で売っている」という状況になってしまっていたことだ。シアーズには品ぞろえの力はあったが、価格競争力がなくなっていた。
後年、この問題はより深刻な形でシアーズを襲う。それはアマゾンを始めとする「オンライン通販」の普及で、これが同社への最大のとどめとなる。
話を2005年に戻そう。既に業績が悪化し始めていたシアーズはこの年、金融の風雲児との異名を持つランパート氏が率いるファンドに買収され、同じく経営不振に陥っていたKマートと統合される。しかし業績は改善せず、2013年、ランパート氏自らがCEOに着任した。後に彼自身がシアーズを破綻に導くことになってしまう。
ランパート氏は小売業の経営者としては、問題があった。本社があるイリノイ州から遠く離れたフロリダに住み、打ち合わせや指示はテレビ会議で行っていた。本社に出向くのは年に一回、株主総会の時だけだったとも言われる。
シアーズは支払い面で納入業者に警戒され店舗の棚は空きだらけ、ポップも手書きとなり、店はうす汚れていた。現場を見れば一目でダメージを実感できるであろうに、彼はこれらをデータで報告を受けていたようだ。彼が目指した「デジタル経営」が裏目に出たのだ。
さらにシアーズの縮小の過程でランパート氏は個人のファンドで同社から多くの資産を購入、中には後年、多額の利益をランパート氏にもたらすものもあった。特に大きいのはシアーズの優良店を切り離して組成したリートへの出資で利益相反が疑われるのも当然だ。
資産売却は当初はIT化ための前向きの資金を得るために行われ、やがて赤字の埋め合わせのための資産売却となった。末期には資金ショートを防ぐための「タコ足」の資産売却になり、2018年10月15日月曜日の早朝、連邦破産法第11章申請をするに至った。
シアーズは激しく縮小均衡を図る年が続いていたため、最盛期には3000店以上だった店舗数は倒産時には700店、従業員は以前は35万人だったものが9万人弱となっていた。
1月末現在の状況だが、先ごろランパート氏は425店舗等を52億$(5770億円)でビッドした。同時に同氏がシアーズと行ってきた取引について利益相反他の法的追及は受けないという条件を付けているが、無担保債権者団はこの点について、了解をしていない。本稿が皆様のお手元に届くころには、この点についてもう一段の展開があるだろう。
本件の不動産業への直接的な影響に触れておこう。モール内のシアーズが閉店したときの影響は大きく2つに分かれている。
一つ目はシアーズが抜けた後を新たなテナントに貸したり、新たな集客装置をしつらえたりすることができたモールだ。シアーズは非常に低廉な賃料で借りてきた例も多く、これらの場合、貸付賃料が上がったのでモール会社にとっては「災い転じて福となる」となった。
反対のパターンはもともと不調だったモールが多いのだが、シアーズが抜けて大型の空室ができたことでますます不調になってしまうケースだ。モールの一般テナントの賃貸借契約には「アンカーテナントが退去した時の賃料引き下げ条項」があり、これが発動されるとモール会社にはダブルパンチとなってしまう状態である。
ジャパン・トランスナショナル 坪田 清
(ドル=111円 2月28日近辺のレート)
三井不動産リアルティ㈱発行
Realty Press Vol.45 2019年 3月発行