ヤップ島にある石貨の数は2万個から4万個とされていた。
その全てが約400キロ離れたパラオからカヌーで運ばれてきたものだ。
小さい物で直径20~30センチ、最も大きい物は直径3メートル以上。
目に付く典型的な物は直径1~1.5メートルで、家の壁にたて掛けてあったり、道ばたの木にたて掛けてあったりするようだ。
集落のハズレには大型の石貨を並べた一画があり、これは「ストーンマネー・バンク(石貨銀行)」と呼ばれている。
私はこれらを幾つかの「文献」で見ただけだ。
ヤップ島を訪れるチャンスはとうとうなかった。
「文献」の中には戦後、同島に赴任したアメリカ人の教師が地元の中学生に書かせた「ストーンマネー(石貨)」に関する分厚いレポートもあった。
「『お金』についてレポートを書け」と言われると、誰でも困るだろう。
そのような戸惑いの感情が各所にみられる、素朴なレポートだった。
石貨は大きいほど価値があるという訳ではない。
実際、島民が共有認識として「最も価値がある」信じている物は、最大の石貨ではない。
石貨が使われる取引は限定的だ。
なんらかの「感謝の念」を示す事が必要な時に用いられるのだ。
家の建築費、カヌーの建造費、花嫁の家側から花婿の家側に対する謝礼(花婿の側からは貝の貨幣が支払われる)、病気を治してくれたお礼・・・
そしてなんと「タロいも畑の売買」・・・
ここに至り、私の直感は一致した。
私のドメインである「不動産」は「お金」そのものと原初的な形で結びついていたのだ。
<私のもう一つのブログです:http://triangle-uehara.jimdo.com/>