1995年当時、私は不動産会社の、出来て間がないインハウスの研究所の研究員だった。私は「土地になぜ、値段が付くのか」を考えていた。
問題は「お金とは何か」にあると考えた。この時、「ヤップ島の石貨」の存在を知った。
経済学の延長である「貨幣論」と文化人類学の境界領域みたいな話だ。
以下、4回に分けて書く話は、現地も見ずに調べた事項なので、くれぐれもご注意を。 「石貨」は花崗岩で作るが、ヤップ島では花崗岩は採れない。
カヌーで約400キロも離れたパラオ島で切り出して、形を整えて持ち帰る。
遠洋の航海自体も危険だが、現地でパラオ人にも襲われる。
持ち帰った「石貨」には勇気なり思いなりストリーが込められている。
それば島民共通の価値認識となり、「貨幣」と似た機能を持つ。
ただ我々が石貨はふつう、我々が思う「貨幣」とはかなり異なる。
例えば石貨には「円」とか「ドル」のような通貨単位がない。
最も貴重な石貨が使われたのは、部族対立の解消の時だったという。
ヤップ島には3つの部族があるが、そのうちの2つが緊張関係に陥っていた。
何かのはずみで片方の部族の若者がもう片方の部族の若者を殺してしまった。
このままでは2つの部族は全面戦争になりかねない危機に直面した。
この時に問題解決の為に差し出されたのが、「最も価値が高い石貨」だった。
これを「賠償金」と似たような物だと考えてよいだろうか?
第一次世界大戦勃発のきっかけとなった跳ね上がりの民族主義者の行動は、当時のヨーロッパに「石貨」があれば、大陸に吹いた火を火種の段階で消し止めたのでは?
ヤップ島民が共有して持つ石貨に対して持つ価値観を、現代世界は持ち合わせていない。戦争回避に成功したこの様な「石貨システム」を、私はうらやむべきだと思う。