筑波大付属駒場の昔の田んぼ(田植え)の授業 その1

★「ジャパン・トランスナショナル」検索改善用ブログです。

 

 今では「農業体験」を売り物にしている私立の学校まであるようだ。

 

 筑波大付属駒場(当時の「教育大付属駒場」)では昔から「農業学習」があった。

 1969年に同校の高校へ入学した時、「農学」が一年生の必修科目なので驚いた。

 筑波大付属駒場は元々、農学校として出発したので、こんな科目があったのだ。

 

 「田植え」や「稲刈り」をやらされた。みないやいやながらやっていた。

 田植えは苗を一人一条(一列)分、植えた。

 稲刈りは自分たちでしたのか、先生が機械でしたのか覚えていない。

 カマは大けがしかねない。刈り取った稲を束ね、校舎までかついで運んだ。

 

 座学もあった。とにかく農学は「必修科目」なのだ。万が一にでも落とすとヤバい。

 例えば、期末テストでは「農薬の種類」「作物の名前」「その病気」を結べと出た。

 

 もう一問は「今年の田植えは『何月何日か』」だった。

 

 田んぼの水を引いていたのは歩行者用道路の反対側の池で、大きなコイが何匹もいた。

 しかし、この池には家庭用雑排水がどんどん流れ込んでいる。

 あまりの汚さでコイが死んだら、「田植え」はしなくてよくなると信じられていた。

 

 しかししぶといコイたちは一匹も死ぬことがなかった。

 

 誰かが化学教室からカリウムの塊を盗み出し池に投げ込んだのだが、爆発音とともに大きな水柱が上がっただけで、コイは死ななかった。

 

 そんな農業用水だったから、田んぼの土は「土」というよりヘドロだった。

 平均的な農家は一粒の種もみから200倍の収穫を得ると農学の授業で教わったが、われわれの田んぼは4、5粒分くらいしか実らなかった。

 

 筑波大付属駒場は学校も田んぼも京王電鉄が運営する井の頭線沿いにあった。

 田んぼから見上げると井の頭線が走っている。

 

 時、おりしも電鉄会社のストライキが頻発した時代。

 京王電鉄がストに突入すれば学校が休校になるので、田んぼに入らなくて済む・・・

 みんなの期待の中、京王電鉄の労使交渉は組合側の譲歩で夜ふけに決着。休校はなくなった。

 

 我々はヘドロの田んぼに入り、井の頭線に向かって「軟弱クミアイ」と罵るのだった。当時、「軟弱」というのは最も強烈に相手を罵倒する言葉だったのだ。

 

<ご参考:私のもう一本のブログです:http://triangle-uehara.jimdo.com/から>