半世紀前に「技術・家庭」の授業で作った椅子は、長持ちしていた

 中学時代(東京都渋谷区立上原中学校)の同級生で作っている歌のサークルの先日の練習の際の二次会では、昔話に花が咲いた。


 場所は代々木上原の「大勝軒」。ちなみにこの大勝軒、看板料理の「つけめん」を始め、料理がとてもおいしい。「大勝軒」の本当の本家筋にも極めて近い店なのだ。


 男が4人いて「技術・家庭(男だから「技術」の時間だ)」のおもいで話に花が咲いた。


 50年前の授業で「椅子」を作ったのだが、4人のうち3人が今でも現役で使ってる。


 どこかへ行っちゃたのは当ジャパン・トランスナショナルだけだった。


 単純な構造の、武骨な椅子だが、使われているシチュエーションは様々だ。


 玄関わきでちょこっと物をおいたりとか、母親が重宝していたりとかだ。


 とにかくちょうど半世紀前につくったのだから、椅子としてはえらい長寿だ。


 サイズ的には、大人用より一回り半ほど小さかった。座るには小さすぎる代物だ。


 どうやって作ったかは覚えていないのだが、三角定規やノコギリなどを使って作ったのだと思う。非常に丈夫な作りで、あれならたしかに長持ちしそうだ。


 中学校に入学した時に最初に作ったのが「花瓶敷き」だったことも、全員が覚えていた。

 7センチはばぐらいの2枚の板を、少しずらしたデザインだった。

 紙やすりでけずって、ニスを塗ってしあげたんだろうな、きっと。


 4人とも「椅子」、「花瓶敷き」、両方ともの形や色合いを鮮明に思い出した。


 ゲルマニウムラジオ(鉱石ラジオ)も作った覚えがあるのだが、こっちの方は形やどんなものだったか、だれも覚えていなかった。


 人間の記憶っておもしろいものだ。ひょんなことで50年前の記憶がよみがえるのだ。


 あだなが「イトマン」だった、沖縄出身だった糸満(いとみつ)先生、お元気でしょうか?